昨日は、月に一回のパワースポット巡りの日。
北茨城市の花園神社に行ってきました。
マイナスイオンのシャワーをたくさん浴びてきました。
その後、花園渓谷を散策し、五浦観光ホテルの温泉に入って昼食。
食後、隣にある六角堂を見学。
妻孝行、喜んでくれました。
由緒ある…花園神社
・延暦14乙亥年(795年)-創始は桓武天皇の御代、征夷大将軍坂上田村麻呂が勅定により奥州下向の折に霊夢によって創建。
・807年4月-花園山と号づけ、平城天皇より勅額が掲げられ満願寺を開闢す。
・824年~834年-釈円仁(慈覚大師)が東国に頭陀の折、当山に修行し、
・貞観2年(860年)に満願寺を再興。
以来天台宗満願寺社僧により奉仕され武州東叡山の末寺であった。
・1051年-源頼義・義家(八幡太郎)が宣旨を受けて安部貞任・宗任を追討のため奥州に下向の際、参拝し誓願書を納めた。
・1083年-清原武衡・家衡を討伐に赴く折、お使い神の猿が憧幡一旒を義家に授け、これを山王幡と名付け勝利を得て上洛の時にこの山王幡と源氏の白旗と二旒を神社に納め山中の社殿を始め末社に至るまでを建立せられた。
・1593年-領主車兵部大輔義方によりに愛染堂を寄進した。
・1602年-徳川幕府も深く信仰され家康の社頭領五十石の御朱印を寄進されたのを始めとし代々将軍が代わる毎に同朱印章書が寄せられた。神仏混淆時代には境内に本地堂・釈迦堂・護摩堂・愛染堂・大黒堂・鐘堂・庫裡など相当数の建物があった
・明治初年神仏分離により満願寺の廃止と共に諸堂は除却された。古くは花園山大権現・日吉大権現などと称えられ明治初期頃より花園神社と称され大北川・花園川沿流十ヶ村の総社と称され信仰を集めた。