小嶺忠敏(長崎県立国見高等学校サッカー部総監督)さんの話
※掲載当時の肩書きです。
私の場合は、母に育てられましたか ら、母の教えが人生の支えとなって います。
うちの地方では麦踏みというのがあるんですよ。
麦は少し背丈が伸びたら踏み倒す。
一週間くらいたって、 また伸びてきたら、また踏み倒す。
それを三回くらい繰り返すんですよ。
小さい頃、私はそれが不思議でならなかった。
ある日、母に「どうして何度も麦を踏み倒すの」と聞いたら、
「踏まれた麦は上を向いてスクスク育っていくが、踏まれていない麦は冬に霜や雨が降るとしおれてしまって、作物にならない」と…。
続けて、「人間も同じだよ。 小さい頃や若い頃に苦労し踏まれて踏まれて大きくなった人間が将来大物になるんだぞ」と教えられました。
もう一つ心に残っている教えがあります。
九州は昔から台風が多いのですが台風が去った後、
母が「あれを見てごらん」と指した方向に、大木が何本も折れて倒れていたのです。
一方で、大木の横にある竹やぶの竹は一本も折れていない。
母は「竹にはところどころに節がある。だから強いんだ。 人間も遊ぶ時は遊んでもいいが、きちっとけじめをつけて、締めるところは締めないといけない」と教えてくれました。
「節ありて竹強し」なんですね。
これらの教えが辛い時、私の支えでした。
実際、長崎の島原にいながら県立高校で日本一を目指すことは、
当時の常識で考えれば不可能に近いことで、高校の同級生たちからは
「バカ か、おまえは。こげんとこで日本一 になれるものか。もしおまえが日本 一になったら、俺らは島原中を逆立 ちして歩くたい」と言われました。
初優勝は十年目の昭和五十二年のインターハイです。
しかし、サッカー は他の競技と違って、冬に行われる全国高校サッカー選手権が一番大きな大会なのですが、これがなかなか勝てずやっと優勝できたのが、二十年目の昭和六十二年です。
その間、島原商業から国見高校への異動もありまし た。
不思議なことに、一度優勝する と、次からドドドと六回優勝できた んです。なかった。
私はいつも言うんですが、普通のこ とを考え、普通のことをしていた ら、普通のことしかできない。
勉強 も人が一時間するなら二時間やる。
サッカーだって、よそが三時間練習 するならうちは六時間やる。
とにかく鍛えるということです。
〜月刊 致知より〜