晩年の鈴木大拙の鎌倉のお住まいには、百三十段の階段がありました。
ある時、訪ねてきた新聞記者さんが、
「先生、こんな階段を毎回上がるのは大変でしょう」
と心配したら、大拙は
「いや、一歩一歩上がれば何でもないぞ。
一歩一歩努力すれば、いつの間にか高いところでも上がっているよ」
※一歩一歩とは、「今ここ」に集中して、それを継続すること。
大切なのはその一歩を踏み出そうとする勇気。
そして、二歩目、三歩目を出し続ける忍耐力。
さらには、その一歩一歩を楽しむ感受性。
どうせやるなら、笑顔で(^O^)/
◎鈴木大拙氏とは…
(1870-1966)明治3年金沢市に生れる。
6歳の時、医者で儒者だった父を失ったため、苦学して四高まで進み、同校で西田幾多郎らと親交を結ぶ。
明治24年上京。東京専門学校(早大の前身)に学ぶかたわら円覚寺の今北洪川について参禅。
明治25年東大選科に入る。
27歳の時、洪川老師の後継者釈宗演の縁でアメリカに渡り、出版社に勤務。
この頃より仏教関係の著作を英訳刊行。
明治42年、帰国して学習院、東大の講師。
大正10年真宗大谷大学教授となり、英文誌「イースタン・ブディスト」を創刊。
同誌は20年間にわたって仏教思想を海外へ紹介した。
昭和11年ロンドンでの世界信仰大会に日本代表として出席、その帰途、英米の諸大学で講義。
戦後はハワイ大学、コロンビア大学等で長く仏教哲学を講じた。
昭和24年文化勲章受章。昭和41年96歳で没す。
その著書『禅と日本文化』は名著として戦前から多くの読者に読みつがれてきた。