継続は健康を作る!感動を作る!

JR新橋駅最後の路上靴磨き職人(1回500円)の中村幸子さん(92歳)。

今も現役で磨いています。

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 空襲、夫のDVと離婚、再婚後に死別、5人の子育て…

新橋の92歳「靴磨きばあちゃん」が明かす「壮絶すぎる半生」・・・

彼女が生きてきた92年は波乱万丈。

1931年(昭和6年)、警察官の父と看護婦の母のもと、

6人兄弟の3番目として静岡県浜松市に生まれました。

8人家族を路上靴磨きで養った

結婚、離婚、そして再婚、2人の間にも3人の子どもが生まれました。

家族は中村夫婦と(前夫の子供を含めて)5人の子ども、そして薫さんの母親の8人。

大家族の大黒柱になったのが中村さん。

再婚した夫・薫さんは足が不自由で身体も弱い。

そのため思うようには働けず、中村さんは行商を続けるなどして家計を支えていました。

家事と育児の傍ら、家族が食べていくために夢中で働いていたのだが、徐々に追い詰められていく。

限界間近の中村さんを救ったのは「靴磨きやらない?」との知人の言葉でした。

そうして路上靴磨きを始めたのは、40歳を目前に控えた1971年。

「最初の頃はやりたくない気持ちもあったし、なにより新参者には厳しかったよ(苦笑)。

私たちは古い人が終わる頃からようやく仕事ができるの」

高度経済成長期の名残のあった時代、顧客は徐々につき始め、

朝から深夜まで必死に働き、さらには薫さんの作った借金も返しました。

仕事も軌道に乗り、ようやく幸せを手に入れられるかと思った矢先の1983年、

薫さんは肺がんでこの世を去った――。

悲しみと苦しみにもだえる中村さんを支えたのは、家族と、新橋の客たちでした。

「一生懸命にやればきっと誰かが見ていてくれるのよ」

気が付けば靴磨きの仕事は50年を超えました。

お客様の顔を見ると、ひとりひとりに何か感じるものがあり、温かい言葉をかけ続けているそうです。

そんな中村さんに会いに、わざわざ県外からもお客様が来るとのこと。

92歳の今日も磨き続けている…

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